緊急被ばく医療

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被ばく線量とそのリスク評価

 もし皆さんが何らかの慢性疾患に罹患した場合、それが心疾患であれ、慢性肝炎であれ、糖尿病であれ、その疾患の病期や進行スピード、併発している合併症、治療介入手段の選択肢などを、様々な血液検査や画像診断などを駆使して診断されると思います。放射線誘発癌に代表される放射線誘発疾患も、もし被ばくをスタートとすれば一種の慢性疾患と捉えることができます。そして疫学的な立場でみれば、被ばく線量に比例して疾患の発症リスクが増加することが分っています。すなわち個人の被ばく線量が正確に判り、それによって個人レベルの疾患の発症リスクが予想できれば、病気の予防や早期発見に繋がることが期待されます。しかし、多くのヒバクシャで問題となる低線量領域の被ばくに関しては、残念ながら個人の被ばく線量を簡単に検査などで調べる手段はまだ実用化されていません。また個人の放射線感受性、すなわち放射線誘発疾患の発症しやすさの体質の判定についてもまだ日常検査レベルで用いられているものはありません。

 そのため放射線被ばくのリスクが高い職業についている人は、安全管理という立場で各個人が放射線量を計測するガラスバッチを装着して、毎月の積算放射線量を測っています。その基準は当然ながらより安全なレベルに基準値が設けられていて、電離放射線障害防止規則によれば五年間の積算線量が100mSv以下、どの一年も50mSvを超えないようにと決められています。

 では線量計を付けていない不慮の事故のような場合は、トータルの被ばく線量をどのように推測すればよいのでしょうか。さらに線量計では測定できない種類の被ばくの場合はどうすればよいのでしょうか。高線量被ばくの場合は、症状からの推測もできますし、採血検査や染色体検査などで、積算被ばく量が分る検査法(バイオドジメトリー)が確立しています。一方、低線量領域ではまだ簡便なバイオドジメトリーがなく、長崎大学や放射線医学総合研究所などでその開発研究が進められています。ガンマ線を出す各種による低線量の内部被ばくについては、バイオドジメトリーとは別に、物理的な測定法としてホールボディ―カウンターという装置が用いられています。

 長崎大学に毎年被ばく医療研修に訪れているチェルノブイリ周辺の医師団や学生さん達もこのホールボディ―カウンターの検査を受けていますが、チェルノブイリ事故後すでに25年の月日が経っている今日でも約半数の方に、健康被害のない低いレベルですがセシウム137という放射線各種が検出されます。

 ここで考えなければならない重要なポイントが、もう一つあります。同じ病気でも、個人個人の体質によって病気になりやすい人となりにくい人がいますが、被ばくによる放射線誘発癌においても、癌を発症しやすい人とそうでない人がいるかもしれないということです。実際そのような放射線誘発癌を発症しやすい体質が疑われる多重がん(いくつもの組織に何度も癌を発症する)の症例を、我々は何度も経験してきました二)。最近、長崎大学の被爆者癌登録の病理学的検討の論文や放射線影響研究所の疫学研究の論文においても、放射線起因性多重がんの可能性が指摘されています。その原因メカニズム解明に向けて、長崎大学ではチェルノブイリにおける小児甲状腺癌について国際共同SNIPs研究(体質の違いを遺伝子レベルで研究する方法)を行っています。

医療被ばく

 低線量被ばくの問題の中で、医療被ばくは最重要課題の一つとなってきています。この中には、患者さん自身の被ばくの問題と、医療従事者の職業被ばくの二つがあります。

 臨床医学の最も権威のある英国医学雑誌ランセット(Lancet)に2004年春に医療被ばくに関する論文が掲載され、診断用X線で癌が発生する確率は日本が世界で一番多く、英国の五倍、年間7587人の癌患者が診断用のX線検査が原因で過剰に発生していると推定されるという論文が掲載されました。また被ばく量の多いCTの台数も、人口当たりのCT普及台数では、日本が世界一位で、医療被ばくの重要な要因の一つがCT検査であると考察されました。診断用のX線検査による被ばくは、ホールボディカウンターで測れるような内部被ばくではありませんので、バイオドジメトリー検査の実用化へ向けた研究の発展が重要です。さらに検査レベルの低線量被ばくでも積み重なると、癌のリスクが僅かであっても上昇するのか、実は全く変わらないのかといったことに対する長期間の前向きの研究が必要となります。一方、病気の診断・治療ではもちろん、検診においても患者さんは何らかのメリットを期待してX線検査を受けるわけです。そのためリスクにおびえ必要な検査を受けずに病気が進行したりするようなことはあってはなりませんし、逆に検査すればより詳細に分るからといって無駄な検査を繰り返すのも問題があります。例えば、少し頭が痛いとかお腹が痛いとかで病院に行った場合、そのような人すべてにCT検査をすることは、過剰でしょう。しかしどのような範囲のCT検査が適切かを決めることは非常に難しい面があります。さらに自由診療の中でPET-CT検診が若い人から行われていることの是非も検証されるべきでしょう。しかしこれらの検証には長期間かかるので、まず喫緊の課題としては、臨床の現場で適切な放射線リスクコミュニケーションができるように、医学教育・卒後教育中に被ばく医療学を定着させることが重要であると思われます。

 放射線線量計を装着している放射線作業従事者は、我が国において約45万人います。その内、医療従事者が23万人、原子力産業が8万人をしめています。2006年度のデータでは、年間被ばく量が10mSvを超える放射線業務従事者は、医療機関が733人、原子力産業関連が1132人、他20人でした。さらに20mSvを超える被ばくになると、医療機関156人、原子力関連は0人でした。放射線医療機器等の進歩に伴い、重篤な疾患でも患者さんの生命を助けることができるようになってきている半面、医療従事者自身の放射線防護が疎かになっている面があるかもしれません。その実態調査に取り組むとともに、やはり放射線リスクコミュニケーションが重要であると考えます。

被ばく医療における再生医療

 原爆資料館を訪れた時、大やけどをしたり、髪が抜けたり、白血球や血小板がつくれない骨髄の障害をうけたり、消化管よりの出血が止まらない被爆者の写真や資料を見たことがあるのではないでしょうか。器官や臓器の大きなダメージに対して、それらをいかに再生するかは二一世紀における医療に大きな期待がかかっています。

 これまでも、やけど(熱傷)に対する自家皮膚移植、血液疾患における同種骨髄移植や臍帯血幹細胞移植などの移植医療が発達するとともに、免疫抑制剤の改良とともに心臓・肝臓などの重要臓器の移植医療も進歩してきました。日本においては、日本人の死の概念と脳死の議論が長く続いたため、移植医療は骨髄移植や角膜移植、生体腎・生体肝移植など限られた分野で進歩していましたが、最近、臓器移植法が改正され脳死と判定された方からの臓器移植が少しずつ増えてきているところです。

 原爆や放射線災害における放射線障害では、皮膚や消化管などの障害が生命予後に直結しています。また癌の放射線治療を受けられた患者さんの中に、重篤な放射線皮膚障害や放射線腸炎などに悩まされている方々もおられます。例えば、癌に対する放射線治療後の放射線皮膚潰瘍では、移植を含む通常の治療では皮膚潰瘍がなかなか治癒できず、長期にわたり潰瘍が持続して、例え癌が治ってもQOLが著しく低下したままの患者さんがいます。

 重要臓器の再生については、基礎研究のレベルではES細胞(胚性幹細胞)を用いた研究や、京都大学の山中教授らの発見したiPS細胞の研究が脚光を浴びています。倫理的問題や発癌のリスク、その他の技術的問題があり、まだすぐに臨床応用するというレベルではありません。そこで我々は、より安全で臨床応用可能な手段として患者さんの皮下脂肪組織からとった脂肪組織由来再生細胞を用いて、放射線皮膚潰瘍を治療することに2008年末に世界で初めて成功しました。

 先に述べた骨髄移植や臍帯血幹細胞移植など、すでに確立している同種移植と比較して、今回の治療は本人の組織由来の細胞であり、免疫抑制剤を使わなくてもよいという意味でもより安全で可能性を秘めています。同じような考えで、骨髄間葉系細胞を用いた再生治療や、東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設が開発した細胞シートによる再生治療など、患者本人の臓器由来体性幹細胞を用いた様々な再生医療が試みられています。まだまだ進歩すべき余地はありますが、再生細胞を用いた放射線障害の治療が、一般の医療の一つになる日も必ずしも遠くないかもしれません。

緊急被ばく医療

 救急医療や災害医療の現場で要求される被ばく医療を、緊急被ばく医療と総称しています。緊急被ばく医療で想定しているものは、放射線発生装置の取り扱い事故から、ダーティーボムや核兵器爆発などのテロリズム、原子力発電所での臨界事故まで多種多様です。その身体影響は単なる被ばくだけでなく、放射性物質汚染を伴う外傷、原子力施設での事故や核兵器爆発による熱傷など幅広い範囲をカバーしなければなりません。このような事故・災害発生時には、これまで述べてきた線量推定や再生医療、患者さんと家族、医療従事者さらには周辺住民へのリスクコミュニケーションも大切です。加えて初動対応時には、情報量は少なく混乱しており、放射性物質によるものなのか、化学物質あるいはそれ以外の危険物質が関与するものなのか、正確な実態把握は困難な可能性もあります。したがって、政府・自治体・関連諸機関そして医療機関が共通の指揮命令系統対応できるよう態勢の整備が必要であると考えられます。広島大学はこのような緊急被ばく医療の西日本ブロックの拠点です。長崎大学も協力してあたっており、長崎県だけでなく佐賀県・鹿児島県などの九州の原発立地県を中心に、緊急被ばく医療のネットワーク整備に力を尽くしています。また大きな事故などの場合は、国際的な協力も必要となります。2011年2月には、WHOの緊急被ばく医療の国際会議が長崎大学で開催されました。

 緊急被ばく医療で、特徴的なポイントの一つは、長期の放射線誘発疾患の発症を予防する目的で、放射線災害の初動対応の時に、内部被ばくの原因となく放射性物質をからだの外に出すキレート剤を服用させることです。代表的な例は、放射性ヨウ素一三一に対する安定ヨウ素剤の服用です。これらも備蓄や管理し、いざという時の配布や幼児や小児に服用させるためのシロップ薬の調剤など、関係機関が協力して当たらなければいけない事柄で、日頃の緊急被ばく医療講座や原子力防災訓練が非常に重要です。さらに、特殊な放射性物質に対するキレート剤については、日本では放射線医学総合研究所が中心となって研究しています。

放射線発がん研究

 がんの研究と治療法開発は、長足の進歩を遂げており、癌の診断・治療に関しては、放射線誘発の癌であろうがなかろうが、臨床面では差はありません。放射線発がんの研究面では、甲状腺癌におけるRET/PTCなどで代表される、別々の遺伝子どうしが放射線障害により融合することによって癌遺伝子としての変異が生じるメカニズムは明らかにされました。しかし、そのような変異が見つからない癌の方が大半を占めています。そこで、これまで研究されてきた、放射線によるDNAの二重鎖切断によって癌遺伝子ができるというストーリーとは別の、新たな発癌機序の研究が必要とされると思われます。一方、癌の治療は分子標的治療の時代に入ると思われます。放射線誘発癌もその特異的な発癌機序の分子標的を解明して、新しい予防法や治療法が生み出されることが期待されます。

21世紀の被爆者表紙

※「21世紀のヒバクシャ」長崎新聞新書より抜粋・転載

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